ayakasi-nyanco’s diary

不思議体験のお話です。

五十年忌

こんばんは。

週末の春の嵐、皆さまのところではいかがでしたか?

私は週末、五十年忌のため、実家へと行ってまいりました。

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写真は築地本願寺さんのステンドグラスです。

わが家の菩提寺徳川家康ゆかりの臨済寺からほど近い臨済宗のお寺です。
土曜日はあいにくの雨。
天気予報でも、「春の嵐となる」と言っていたので、ひどくならないようにと願いながらの法事でした。
出席者は母と私の二人だけ。

50年もの法要なんて、そうそう経験できるものじゃないですね。
いつものように住職様の読経が始まりました。
しばらくすると、途中で聞いたことのないお経に変わっていたことに気が付きました。

読経を聞きながら目を閉じていると、初めて見る光景が浮かびました。

うまく言い表せないのですが、白い雲が幾重にも重なり、まるで階段のように斜めに伸びています。
そこに、白いドレープの、お釈迦さまのような姿が現れ、ゆっくりゆっくりと、その雲の階段を上がっていくようでした。
よく見ると、その姿は一つではなく、少し離れた雲の上に視えたり、さらにその奥のほうにも視えたりしました。

母が言います。「五十年、お祀りすれば、その人は神様になるんだよ」と。。。

もしその言葉通りなら、神様になるための階段を上がっていくのだろうか、そこに立ち会わせてもらえるなんて、実はすごいことなんじゃないかと思いました。

しばらくして目を開けると、私と母が座る位置の正面に、父と兄の姿が視えました。
ふたりとも、ちゃんと礼服を着て、おしゃれな父は髪をオールバックにして、亡くなる前にはやせていた兄も程よい肉付きの頃の姿で、前後の椅子に座り、何か話し込んでいました。
『なんだ、仲良くやってるんじゃん』少しだけうらやましく思いました。

やがて法要が済んで、お墓に向かいました。
雨は小やみになり、住職様もご一緒して、墓前にお線香を手向けました。

「あれからもう、50年ですか」とご住職様は感慨深げに話してくださいます。
「ある意味、50年もの長い間、こうやってお勤めなさるのは不幸なことかもしれませんね」
母も、「そうですね。本当なら50年なんて、こどもより孫の世代にやるものですからねぇ」と言っていました。
「それでもこれで一区切りですから」とも。。。

墓を守り続けるのは、今の社会ではあまり合理的でもないし、考えにくいことかもしれない。

ふたりの様子を見て、そんな風に感じた1日でした。

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